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執筆者の写真mizuki shikimachi

緑内障のヴァイオリニストが失明することよりも怖いこと【式町水晶の人生ストーリー】

17歳になる1ヶ月前、2012年9月のことでした。 脳性まひによる車椅子生活を卒業して1年半が過ぎた頃の話です。

当時、ぼくは小学6年生からいじめを受けてきた影響もあり、「まだやれる!」と負けず嫌い、闘争心が強すぎたことで過剰なトレーニングをしていました。 30分で5km走り込み、シャトルラン100回。まだ基礎体力がない時期。それなのに無理をしすぎたことで体調を壊し、倒れて入院することなりました。

脾臓(ひぞう)の異常 リンパ腫 ガンの疑い などあり、生死を彷徨うほどの出来事でした。

普段明るい母でしたが、この日ほど心配をかけたことはありません。 検査の結果、ガンではありませんでしたが、幼児期からの緑内障のことについて医師から次のように告げられたのです。

「緑内障によって今後失明するかもしれない。覚悟を決めるように」 ヴァイオリニストとして活動していく上で、目はとても大切なもの。 しかし、次第に狭まってくる視野。 「目が見えなくなったらどうしよう・・・?」怖さでいっぱいになっていました。 そう思いながら入院生活をおくっていたある日、ぼくのコンサートに来てくださっている老夫婦がお見舞いに来てくださいました。失明の怖さを感じていることについて、素直に相談してみることにしました。 「水晶くんはツイています。そこまで体調を壊さないと気づけなかったんです。そんな君に神様がこうしてお休みをくれました。この時間を大切にしてください。"本当の意味での盲目"とは何かわかりますか?」 「えっと・・・目が見えなくなることですよね? 「いや、違う!心に余裕が無くなって、自分のことも大切にできなかったり、周りにいてくれる人のことも大切にできない"心の盲目"のことです」 人生の教訓を得るとは、まさにこのことです。 それからは、自分の「心の目」を大切にしようと決意しました。

「愛」や「感謝」などの感情や、本当に大切なものほど目だけで見ていては見えません。 目の視野よりも大切なものは、「心の視野」。 感じるチカラなのだと実感したお話です。 実は、これまであまり話していないのですが、この出来事がキッカケとなり、メジャーデビュー曲の「孤独の戦士」のサビ、Cメロができたのは、この入院生活の時なんです。(12歳の時にこの曲を作ったものの、この入院生活までは、Aメロ、Bメロしかありませんでした)


自分を大切にするからこそ、人に寄り添える曲ができるのだということを、身をもって理解したのです。

「人々の心に寄り添い、癒しの音楽を届けること」が、式町水晶の使命です。 現在行なっているクラウドファンディングプロジェクトの終了後、11月16日には5周年記念コンサートを小田原三の丸ホールで行わせていただきます。


5周年記念コンサートのイベント情報 https://www.shikimachimizuki-violin.com/post/2023-09-04


その後も、全国の小中高校を訪問し、音楽を届けていきたいので、ご支援・応援いただけると嬉しいです。 式町水晶




ポップヴァイオリニスト式町水晶のコミック再出版と5周年コンサートを実現したい!

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Profile

式町水晶(しきまちみずき)

1996年北海道旭川生まれ。
脳性まひと闘うプロヴァイオリニスト。

 

東日本大震災の津波に耐えた陸前高田奇跡の一本松と被災地に残された瓦礫や家具を再利用して作られた 「津波ヴァイオリン」を所持し演奏することを託される。

障がい者と健常者の垣根を越え、 より多くの人々に夢や希望を贈りたいとの思いで、東日本大震災チャリティーコンサートや、全国各地での災害支援活動、社会貢献活動を中心に、コンサート、 ライブ、 各種講演会、 楽曲制作も精力的に行っている。

式町水晶
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